はじめに
以前、管理者に必要なものとして「二つの実務能力(訪問看護の現場力と、マネジメントの現場力)と、それを届ける力」という話をしました。あれは、土台をどう積むかの話でした。
今回は、その続きです。積んだ土台を、どう保つか。
管理者になると、訪問は減ります。当たり前です。シフトを組み、書類を確認し、連携先と調整し、面談をする。時間は有限なので、訪問に充てられる時間は削られていきます。そして、それ自体は正しい変化です。管理者が全員分の訪問を抱えていたら、管理の仕事が回りません。
問題はその先にあります。**減った先に、どこまで減らしていいのか。**この問いに、私たちはまだきちんと答えを持っていません。今回は、いま手に入る研究知見を並べたうえで、私たちなりの整理を書きます。
「現場を分かっていない人」になるのは、思ったより早い
臨床管理職を対象にした質的研究に、印象的な報告があります。臨床業務から離れると、現場からの技術的な信用を失っていく——管理職本人が、そう語っているのです。
これは研究者が外から観察した結論ではなく、当事者の実感として報告されている声です。だから証明された法則ではありません。ただ、心当たりのある感覚ではないでしょうか。
現場を離れて半年、一年と経つと、何が起きるか。制度は変わります。使う物品も変わります。連携先の担当者も入れ替わります。そして何より、いま現場で何がしんどいのかの手触りが薄れていきます。
厄介なのは、これが自分では分かりにくいことです。知識は残っているので、話は通じます。会議でも的確なことが言える。しかし部下の側から見ると、少しずつ「現場を知らない人の発言」が混じり始める。本人は気づかず、周りは気づいている。この非対称が、この問題のいちばん厄介なところです。
なぜそれが、管理の効きを落とすのか
「現場を分かっている」という信用は、それ単独で成果を生むわけではありません。現場に詳しいだけの管理者が良い管理者かというと、そんなことはない。
ただ、研究知見を横断して見えてくるのは、この信用が欠けると、他の力が効きにくくなるという構造です。技術的な信用は、部下がその管理者を受け入れ、決めたことが実際に現場で実装されるための、前提条件のように働いている。
考えてみれば当然です。同じ「この方針でいきましょう」でも、**現場を分かっている人が言うのと、分かっていないと思われている人が言うのとでは、届き方が違います。**前者は「そう言うなら、何か見えているんだろう」と受け取られる。後者は「机の上の話だ」と受け取られる。内容は同じなのにです。
つまり、技術的な信用はそれ自体が成果ではなく、他の力を通すための導線です。導線が細ると、どれだけ良い判断をしても、どれだけ丁寧に伝えても、現場までの通りが悪くなります。
そして、管理者の在り方が実際にどれくらい効くのかについては、数字も出ています。スウェーデンの急性期病院で働く看護師を対象にした調査では、管理者の能力・リーダーシップ・支援に対する評価が高いほど、看護師が報告する患者安全の評価も高くなるという関連が示されました(オッズ比1.49。ざっくり言えば、評価が高い職場では患者安全が良好と報告される見込みが約1.5倍になる、という関係です)。日本でも、看護師2,123名を追跡した研究で、同じ性質の指標が実際の離職と関連していたと報告されています(オッズ比0.833。離職の起こりにくさが2割弱高まる方向の関連です)。
ただし、ここで挙げた数字が測っているのは「管理者の能力・支援」という広い意味での在り方であって、技術的な信用そのものを直接測ったものではありません。そこは正確に区別しておきます。技術的信用を単独で取り出して測った研究は、まだ多くありません。
それでも、無関係な話ではありません。技術的信用は、その「在り方」を現場まで通すための導線だからです。管理者がどうあるかは、雰囲気の問題ではない。**人が辞めるかどうか、事故が起きるかどうかに、実際に効いています。**だからこそ、その効きを支える導線を細らせるかどうかは、真面目に考える価値のある論点です。
ただし、出続ければいいわけでもない
ここで反対側の話をします。「だから現場に出よう」で終わらせると、間違えます。
同じ研究群が、もう一つ別のことを報告しています。**臨床を続けているだけでは、管理能力は身につかない。**そして、臨床と管理の両方を背負う管理職は、役割の板挟みが強く、消耗しやすい。臨床側からは「管理職だ」と見られ、経営側からは「現場の人だ」と見られる。どちらにも半端に見られる状態が起こりうる、という指摘です。
ですから、訪問に出る理由が「現場が好きだから」であってはいけません。それは気持ちとしては分かりますが、判断の根拠になりません。現場が好きな管理者が現場に出ずっぱりになると、管理の仕事が空きます。そして本人は「自分は現場を頑張っている」と思っているので、その空白に気づきにくい。
私たちが出る理由は、管理の効きを保つためです。目的が違えば、出方も変わります。何件出るかではなく、何のために出るのかを先に決める。ここを曖昧にしたまま「現場も大事だから」で運用すると、たいてい中途半端になります。
では、どれくらい出るのか — 時間ではなく「見え方」
正直に書きます。適切な訪問件数の正解は、今のところ分かりません。
これは私が調べ足りないのではなく、研究としてまだ答えが出ていない領域です。専門性・人柄・管理能力の三つを同時に測って、「管理職への移行がうまくいくか」まで因果的に示した研究は、まだほとんどありません。理屈としてはもっともらしく、質的な裏付けもある。しかし直接の検証は未完成です。分からないことを、分かったように書くわけにはいきません。
そのうえで、いま言えることが一つあります。効いているのは絶対時間ではなく、部下から見た「見え方」だということです。技術的な信用は、本人の能力ではなく他者からの知覚として測られる概念です。「この人は現場判断の論点を理解している」「技術的な相談をしても話が通じる」「現場を知らない発言が少ない」——部下がそう感じているかどうかが実体です。
そうであれば、打ち手は時間の確保だけではありません。
*同じ一件でも、持ち帰り方で価値が変わります。**訪問に出て、何も語らずに戻ってくれば、部下から見た景色は変わりません。逆に、一件しか出ていなくても、そこで見たことを解像度高く語れる管理者は、「分かっている人」として認識されます。
これは以前書いた言語化の話とつながります。現場に出ることと、現場を語れることは別です。そして部下が見ているのは、後者のほうです。
もう一つ。**現場の相談に、具体的に答えられるか。**これも訪問件数とは別の経路です。自分が行っていなくても、報告を丁寧に読み込み、判断の論点を掴んでいれば、相談への応答は具体的になります。前回書いた「感想を返す」という話は、実は技術的な信用を保つ作業でもあります。
訪問看護は、この点では恵まれています
一つ、私たちにとって有利な事実があります。
病院で看護部長になった人は、もう病棟には戻れません。組織の規模と階層が、それを許さないからです。しかし**訪問看護の管理者は、訪問に出られます。**出ようと思えば、明日から出られる。
これは構造の違いであって、優劣の話ではありません。ただ、私たちの側にある条件としては、確実に有利です。多くの医療組織では「臨床から離れると信用を失う」が避けがたい宿命として語られますが、私たちの規模と業態では、避けようと思えば避けられる。
単独訪問という構造は、孤独になりやすい、情報が共有されにくい、という文脈で語られがちです。ただ、管理者の側から見ると、現場との距離を自分で調整できるという利点でもあります。この条件を使わない手はありません。
自分で測ってみる
ここまでは考え方の話でした。最後に、明日からできることを一つ書きます。
10営業日、自分の時間の使い方を記録してみてください。
区分は、これくらいで十分です。
直接訪問
現場からの相談対応
育成・面談
会議
連携先との調整
事務・書類
きれいに測る必要はありません。手帳の端に、ざっくり時間を書いておくだけで構いません。目的は正確な集計ではなく、自分の実感と実際のズレを見ることです。
やってみると、たいてい思っていたのと違います。「現場に出ている」と思っていたのに実際は月に数件だった、ということも、「事務に追われている」と思っていたのに会議のほうが長かった、ということも起こります。
そして、記録を見ながら次の問いを立ててください。この配分で、部下から見て自分は「現場を分かっている人」に見えているだろうか。
答えが分からなければ、聞いてもいいと思います。それを聞ける関係があるかどうか自体が、一つの答えでもあります。
おわりに
管理者が失敗する形は、二つあります。
一つは、**専門性だけで押し切ろうとすること。**現場はできるが、人に届ける工夫をしない。関わり方を更新しないまま、腕だけで通そうとする。これは以前、別のところで書きました。
もう一つが、今回の話です。**専門性を手放してしまうこと。**管理の仕事に追われるうちに現場から離れ、気づいたときには「分かっていない人」になっている。本人にはその自覚がない。
この二つは正反対に見えて、根は同じです。どちらも、自分が周りからどう見えているかを、確かめていないという一点で共通しています。
管理者の仕事は、決めて、伝えて、動かすことです。その全部が、「この人の言うことなら」と思ってもらえるかどうかの上に乗っています。それは肩書きでは手に入りません。積むのにも、保つのにも、手間がかかります。
訪問に出続ける理由は、そこにあります。