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RECRUIT JOURNAL

玄関を開けた瞬間の「あれ?」は、AIには書けない。― AI時代の在宅看護師の在り方

訪問看護の現場にも、AIが入ってきています。記録の下書き、報告書やサマリーの作成、計画書の文面、担当者会議の資料。これまで「書くのが得意な人」「まとめるのが早い人」の強みだったところが、急速に平らになりつつあります。 こ […]

Recruit Journal

訪問看護の現場にも、AIが入ってきています。記録の下書き、報告書やサマリーの作成、計画書の文面、担当者会議の資料。これまで「書くのが得意な人」「まとめるのが早い人」の強みだったところが、急速に平らになりつつあります。

こうなると、当然こういう問いが出てきます。では、看護師の価値はどこに残るのか。

私たちの答えは、はっきりしています。残るのは、玄関を開けた瞬間に感じた「あれ?」のほうです。 そして、その「あれ?」を記録に残った数字と突き合わせ、何を、誰に、どの順で伝えるかを決める作業のほうです。

AIが強いのは、「書かれたこと」です

まず、線を引いておきます。

AIが扱えるのは、記録に残された情報です。バイタル、処置内容、服薬状況、経過、加算の要件。これらは構造化された情報なので、集計も、整合チェックも、文章化も、人間より速く正確にこなせるようになります。

つまり、書かれたものを整えて出す仕事は、これから差がつかなくなります。 文章がうまい、まとめるのが早い、根拠を筋道立てて説明できる。これまで評価されてきたこれらの能力は、消えはしませんが、他の人との差にはならなくなっていきます。

これは、若手にとって不利な変化ではありません。むしろ逆です。今までは、経験を積んだ人でなければ書けなかった質の資料が、直接見てきたことさえあれば、若手にも作れるようになるからです。差がつく場所が、「うまく書けるか」から「何を見てきたか」に移るということです。

価値が上がるのは、書かれなかったほうの情報です

訪問看護師は、利用者の生活の場に、一人で入ります。

そこで受け取っている情報の量は、記録に書ける量をはるかに超えています。玄関の靴の並び方。台所の匂い。冷蔵庫を開けたときの中身。前回より減っていない薬。壁のカレンダーの書き込みが止まっている。ご家族が「大丈夫です」と言うときの、声のわずかな高さ。

これらは、ほとんど記録に残りません。書式に該当する欄がないからです。しかし、次の一手を決めているのは、たいていこちらの情報のほうです。

*AIはここに手が届きません。**その場にいなかったからです。生活の場に身体ごと入り、五感で受け取った情報は、訪問した本人しか持っていません。単独訪問という構造は、しばしば孤独の理由として語られますが、見方を変えれば、一次情報を独占的に持っているということでもあります。

そして、ここに今の時代の面白さがあります。かつては、こうした「言葉になっていない気づき」を持っていても、それを説得力のある提案の形にするには相応の訓練が要りました。今は違います。見てきたことさえあれば、それを形にする作業はAIが助けてくれます。 直接見てきたことの価値に、てこがかかる時代になったのです。

だから私たちが若い看護師に伝えたいのは、こういうことです。AIに勝とうとしなくていい。**AIが絶対に行けない場所に、あなたは毎日行っています。**そこで受け取ったものを、ちゃんと持ち帰ってください。

AIがやるのは「どう書くか」。人間がやるのは「何を書くか」です

ここまで、AIが得意なものと、人間しか持てないものを分けて書いてきました。ただ、実際の仕事は、この二つの間にもう一つ層があります。編集です。ここが、いちばん代替されにくい部分だと私たちは考えています。

訪問から戻ってきた看護師の頭の中には、記録に書ける情報と、書式に欄のない情報が、混ざったまま入っています。報告とは、この両方を突き合わせて、何を「報告に値する変化」として立てるかを決める作業です。

たとえば、数値はすべて基準の範囲内だったとします。それだけ見れば、特記事項はありません。しかし今日は、前回より口数が少なかった。台所に、前回置いていった食事がそのまま残っていた。この二つを重ねた瞬間に、「特記なし」だったはずの訪問が、今日のうちに主治医へ一報を入れる話に変わります。

逆もあります。数値が少し動いていても、その方の生活の流れを知っていれば、「これは今回は様子を見る」と判断できることがある。報告しないという判断も、同じ編集作業です。

さらに、誰に、どの順で、どこまで伝えるかがあります。主治医への一報、ケアマネジャーへの共有、ご家族への説明。同じ事実でも、相手が違えば置く順序も、伝える範囲も変わります。**全部書けば伝わる、ということはありません。**むしろ全部書くと、いちばん大事な一行が埋もれます。

そして、その先があります。訪問看護師は、最終的な意思決定者ではありません。決めるのは主治医であり、ケアマネジャーであり、ご家族であり、ご本人です。だからこの仕事の仕上げは、材料を並べることではなく、次に何をするかを打診することになります。「こういう状態なので、こうしませんか」。ここまで来て初めて、物事が動きます。

AIは、「どう書くか」を助けてくれます。 整った文章、抜けのない構成、根拠の提示。この部分は、これから急速に楽になります。

しかし、「何を書くか」は決めません。 決めるには、その場で受け取った情報と、記録に残った情報を、同じ天秤に載せる必要があります。AIは片方しか持っていません。持っていないものを重みづけすることは、原理的にできないのです。

編集とは、選ぶことであり、同時に捨てることです。そして捨てるには、何が大事かの判断が要ります。ここに、その人がこれまで何を見てきたかが、そのまま出ます。

「決める」ことが、残ります

編集が「何を伝えるか」の判断だとすれば、その先に、もう一つ別の種類の判断があります。そもそも正解が存在しない場面で、それでもどちらかに決めることです。

訪問看護は、この種の判断の連続です。ご本人の意向とご家族の意向が食い違うとき。制度上できることと、その人にとって良いことがずれるとき。医学的には妥当でも、この暮らしには合わないとき。

AIは、根拠を並べてくれます。ガイドラインも、制度の要件も、類似の考え方も、すぐに出してくれます。しかし、並べたところで止まります。「この人にとって、今、何が良いか」を引き受けて決めることは、しません。決めるという行為には、外した場合の責任がついてくるからです。それを負えるのは人間だけです。

決断には、その人が何を大事にしてきたかが必ず出ます。経験と、倫理観と、この仕事をどう捉えているかの総体。それが判断のかたちに現れます。私たちはこれを「スタンス」と呼んでいます。AIと人間を分けている最大の線は、能力の高さではなく、スタンスを持っているかどうかです。

管理者になれば、この構造はさらに濃くなります。人の評価、体制の変更、受け入れの可否。全員が納得する結論が存在しない場面で、それでも決めなければなりません。誰にも嫌われない決め方を探し続けると、決定そのものが先送りされ、結局は現場が困ります。決断を引き受けることは、管理者の仕事の中でも、最後まで人間に残る部分です。

ただし、ここは丁寧に言っておきたいところです。決断を引き受けることと、それを力で押し通すことは、まったく別のことです。 私たちは以前から、突破力とは押す力ではなく扉を開く力だとお伝えしてきました。この考えは変わりません。決めるのは自分。しかし、それをどう届けるかは、相手が自分で納得できる余地を残した伝え方を選ぶ。引き受けることと、開くこと。この二つは両立します。

「感じの良さ」は、性格ではなく職務能力です

AIの普及によって、実は評価が大きく変わる領域があります。人との関わり方です。

出せる成果物の質が平らになっていくと、同じ質の仕事なら、一緒に働きやすい人と組むほうがいいという当たり前の判断が、これまで以上に前に出てきます。技術は高いけれど、申し送りをしない。連携の場で相手を否定する。周囲が萎縮する。こうした状態は、本人の力量にかかわらず、チーム全体の力を確実に下げます。とくに訪問看護のように、一人ひとりが単独で動き、情報のやり取りだけがチームをつないでいる現場では、影響が直接に出ます。

ここで、私たちの立場をはっきりさせておきます。

*私たちが言う「感じの良さ」は、生まれつきの性格や、明るさや、社交性のことではありません。**それは、自分でコントロールできる技術のことです。自分のことばや態度が相手にどう届いたかを確かめる。分かりにくかった場面を振り返る。次の関わりを少し変えてみる。この積み重ねで身につくものであり、実際、多くの人が仕事の中で身につけていきます。

なぜ、これを会社の中心に置くのか

私たちはこれを、付け足しの資質ではなく、中核に置いています。理由は一つです。

*この技術をコントロールできる人は、自分が働きやすいだけでなく、周囲に良い影響を出せるからです。**そういう人が一人いるだけで、カンファレンスの空気が変わります。発言が出るようになる。若手が質問できるようになる。連携先からの折り返しが早くなる。日中それぞれが単独で動いている組織では、この差が積み上がったとき、事業所全体の動き方が変わります。

そして実は、これは私たちが別のところで書いてきたテーマと、根がつながっています。以前、組織づくりで見ているのは明るさではなく固定観の緩さだ、とお伝えしました。一歩引ける人は、目の前の相手にも余地を渡せます。逆に、自分の見方が固まっている人は、相手にも「こうあるべきだ」を向けてしまいます。**固定観の緩さと、感じの良さは、同じところから出ています。**私たちが遊びや余白について調べ続けているのも、突き詰めれば、この一点のためです。

では、「感じが悪い」はどうなのか

はっきり書きます。**価値は下がります。**そして、下がって当然だと私たちは考えています。

ただし、ここで言う「感じが悪い」は、性格のことではありません。無口な人のことでも、愛想が得意でない人のことでも、感情を表に出さない人のことでもありません。そういう方は現場にたくさんいますし、その多くは深く信頼されている看護師です。

私たちが「感じが悪い」と呼んでいるのは、自分のことばが相手にどう届いたかを、一度も確かめないまま何年も過ごしてしまった状態のことです。つまり性格ではなく、手入れをしていない技術のことです。

こう置き換えると、話は単純になります。処置の技術を十年間まったく更新していない看護師がいれば、その価値は下がります。誰もそれを人格の否定とは言いません。ただ、技術が古いというだけの話です。関わり方も、同じです。十年間更新していない技術の価値が下がるのは、当たり前のことです。

そして、この領域は長いあいだ、見逃されてきました。**腕が良ければ、多少のことは目をつぶる。**医療の現場には、そういう考え方が確かに残ってきました。私たち自身も含めてです。しかし、それが見直される時期に入っていると感じています。病院でも在宅でも、「何ができるか」だけでなく「どう関わるか」が、専門職としての能力として正面から扱われはじめています。AIによって「何ができるか」の差が縮むことは、この流れをさらに速めるはずです。

もう一つ、正直に書いておきます。**感じの悪い状態を放置している人と一緒に仕事をしたくない、というのは、代表としての私の意思でもあります。**中立的な基準を説明しているのではありません。意思の表明です。

あらゆる人をそのまま受け入れることが多様性だとすれば、この考え方には、それに反する面があります。そこは自覚しています。そのうえで、線はここに引いています。

*プライベートでどうあるかは、まったく問いません。**寡黙でも、人付き合いが得意でなくても、構いません。仕事の外にまで持ち込む話ではありません。

求めているのは「良い人であること」ではありません。看護師という仕事を遂行するうえで、目の前の人が安心できる状態を作れることです。職務上の能力の話をしています。

そして、それは訓練で身につく技術です。だから見ているのは、いまできているかどうかではなく、自覚があるか、変えられるかです。

念のため申し添えます。余裕を失って一時的に刺々しくなることは、誰にでもあります。忙しい時期、うまくいかないケースを抱えている時期。それは技術の問題ではなく、状態の問題です。私たちが言っているのは、その状態が常態になり、本人がそれを自分の課題として扱っていない場合のことです。

裏を返せば、これは救いのある話でもあります。性格は変えられませんが、手入れは今日から始められます。

採用では、何を見ているのか

ここまで書いたことを、採用の場面に下ろします。

*見ていないのは、明るさ、社交性、話し上手さです。**これらは素の性格に近いもので、ここで人を選り分けることはしません。

見ているのは、第一印象を自分でコントロールできるかどうかです。

意外に思われるかもしれません。第一印象は人柄の問題であって、評価に持ち込むべきではない、という考え方もあります。しかし訪問看護では、事情が違います。初回訪問の玄関先が、そのまま仕事の入り口だからです。

私たちは、相手の家に入れてもらう仕事をしています。初めて伺うお宅、初めてお会いするご家族、初めて顔を合わせる他職種。そのたびに、短い時間で「この人になら任せてもいい」と感じてもらう必要があります。これは人柄の話ではなく、業務遂行能力そのものです。

ですから、**自分が初対面の相手にどう見えているかを把握できていない状態は、私たちにとってリスクです。**面接は緊張する場ですが、初回訪問も緊張する場です。緊張のなかで相手に安心を渡せるか。渡せていないときに、それに気づけるか。見ているのはそこです。

そのうえで、経験の伺い方も変えています。うまくいかなかった関わりについて伺うと、その人が何を自分の課題として引き受け、何を相手や状況のせいにしてきたかが、自然に出てきます。現在の水準よりも、自覚と、変えられる余地を見ているということです。

性格では選ばないと言いながら、別の視点では確かに選んでいます。この二つは矛盾しません。**変えられないもので測らず、仕事に必要な技術として測る。**私たちが引いている線は、そこです。

人を見る仕事は、軽くなりません

管理者の仕事は、大きく二つに分けられます。

一つは、業務のマネジメントです。 訪問件数、スケジュール、加算の要件確認、書類の期限管理、収支の把握。これらは構造化できる情報を扱う仕事なので、AIによって相当に軽くできます。実際、私たちもこの領域から手を付けています。

もう一つは、人のマネジメントです。 誰が今どういう状態にあるか。あの人は最近、訪問の後に少し口数が減っていないか。抱えているケースの重さは、その人の今の状態に見合っているか。この領域は、観察と、その人についての蓄積がないと成り立ちません。記録に書かれていない情報が主な材料だからです。

訪問看護では、この二つ目が特に難しい仕事になります。スタッフは基本的に一人で動き、事業所にいる時間は短く、日中は顔を合わせません。見ようとしなければ、まったく見えない構造なのです。だからこそ、ここに人間の時間を集中させたいと考えています。

空いた時間を、何に使うか

AIの導入で私たちが期待しているのは、コストの削減ではありません。時間の使い先を変えることです。

書類の作成に取られていた時間、数字をまとめていた時間、要件を確認していた時間。それらが軽くなったぶんを、どこへ回すか。私たちの答えは、二つです。利用者の前にいる時間と、スタッフを見ている時間。

これは、以前このブログで書いた「生まれた時間を、何に使うか」という話と同じ構造です。効率化そのものは目的になりません。効率化して空いた場所に何を置くかで、その事業所が何を大事にしているかが決まります。

おわりに

AIが入ってくると、仕事が奪われるという話になりがちです。しかし、訪問看護に限って言えば、私たちはむしろこの仕事の中心が、はっきり見えるようになると考えています。

書けること、まとめられること、根拠を並べられること。これらが平らになった後に残るのは、四つです。その場に行った人だけが持っている情報。それを記録と突き合わせて何を伝えるかを選ぶ編集。正解のない場面で誰かのために引き受ける決断。そして、一人の人として向き合う姿勢。

このうち、いちばん日常的で、いちばん見過ごされているのが編集です。毎日の報告の一行目に何を置くか。その判断は、AIには渡せません。

私たちの会社名は、Word(ことば)とPress(働きかける)を組み合わせたものです。ことばはケアの道具である、という考え方が出発点にあります。AIは、そのことばを整える強力な道具になりました。ただ、何を伝えたいのかを持っているのは、これからも人間の側です。

玄関を開けた瞬間の「あれ?」を、大事にしてください。それが、この仕事のいちばん深いところにあります。

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